どうも、吉沢です。
昨日の記事では、
他人からの評価や見られ方は、自分ではコントロールはできない。
だったら、そもそも気にするだけ無駄だよね。
という話をしました。
「お前アホか!」と言われたことに対して、
どんな反応をするかは人それぞれみんな違いますよね、というお話でしたね。
今日の記事では、
他人からの評価や見られ方を気にしなくても平気でいられる方法について、
もう少し掘り下げてお話ししていこうと思います。
あなたがもし、
上司や友達の顔色をついうかがってしまう、とか、本当はやりたくないことも頼まれたら断れない、
というお悩みを抱えていたら、今日の記事もぜひ読んでみてください。
他人からの評価や見られ方が気になる原因とは?
それはズバリ、
あなたに「承認欲求」があるからです。
承認欲求。
巷ではよく聞くワードですよね。
ウィキペディアで調べるとこう書かれています。
承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、「他者から認められたい」「自分を価値ある存在として認めたい」という願望であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。
要するに、「この人は優れた能力を持っている」とか、「この人はいい人だ」とかいうように、
周りから良いように思われたい、という欲求です。
これがなかなか厄介なやつで、これを満たすためには
「人からがっかりされないように行動しなければならない」
というバイアスが勝手にかかってしまうんですね。
それによって、
自分が本当にやりたい言動よりも、人からがっかりされない(だろう)行動を優先してしまう。
これこそが、あなたが周りからの評価や見られ方を気にして言いたいとが言えない、やりたくないことも引き受けてしまう、
という原因の正体です。
あなたの承認欲求を満たすためには、あなたがストレスを感じる行動をする必要が発生してしまう。
というわけだったんですね。
大切なことは、あなたが「誰の人生を生きているのか?」を確認すること
じゃあ結局のところどうしたらいいのか?
それは、昨日の記事でもお伝えした通り
周りがあなたをどう評価しているか、
周りから嫌われないだろうか、
といったことを気にしないことです。
アドラー心理学の考え方を基にした自己啓発のベストセラーである「嫌われる勇気」 では、こんなことが書かれています。
・アドラー心理学では、「他者からの承認は求めてはいけない」とされている。
・そもそも私たちは、自分以外の他人の期待を満たすために生きているわけではない。
・他人の期待を満たすことを優先することは、それすなわち「他人が期待する人生」を生きることになる。
いかがでしょうか?
僕はこの考え方に初めて出会った時、今までぼんやりと腑に落ちていなかったことが一気にクリアになったような気がしました。
一般的に「こうした方がいい」「これが世の中の常識」とされるものの中にも、
どうしても自分にはそうは思えないことってあったりしますよね。
例えばですが、僕は「年功序列」という考え方は真っ向から否定するタイプです。
先輩とか上司とか、尊敬できる人ばっかりじゃないし、
ただ僕より年齢が上なだけとか、ただ勤続年数が長いだけとか、それだけで無条件に敬うことなんてできません。
でも、社会で生きていくためには自分以外の他者との関わりを避けることはできないわけで、
組織とか団体の中で少数派にならないように、本当の自分の思いを押し殺して多数派に合わせてしまう。
別にどうでもいいと思っていて、本心では全く敬っていない先輩や上司に対しても、
彼らのくだらないプライドを傷つけないよう、波風を立てないよう忖度をしてしまったり、彼らに合わせた受け答えをしてしまったりする。
そんな感じで、結果的に自分ではなく世間や他者が求める生き方をしてしまっていたんだ、と。
ユダヤ教の教えには、
「自分のために自分の人生を生きなければ、誰が自分のために生きてくれるのか」
という言葉があるそうです。
そして、
人が死ぬ間際に後悔することの中で最も多いことの一つに、
「もっと自分に正直な人生を送ればよかった」
ということがあります。
いかに人が自分の意思ではない、
他者や世間から求められている生き方をしてしまっているのかの裏返しだと、
僕は思うんですね。
僕の人生は、僕自身のもの。
そして、あなたの人生も同様に、
他の誰でもないあなた自身のものなんですよ。
だったら、周りからどう思われるかを気にして窮屈な生き方を続けるよりも、
自分の意思に従ってストレスなく生きられる方がよっぽど楽しいと思いませんか?
丸っとまとめると、結論はこうなると思います。
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃPoison」
ぜひ、反町先生の教え、
じゃなかった。笑
アドラー先生やユダヤ教の教えを参考にしていただけたらな、と思います。
それでは、またお会いしましょう。
バイバイ!